目次
ディズニーオタクの私
小さかった頃、土建業を営む父が忙しい中、私のために時間を割き、私をディズニーランドによく連れて行ってくれました。それから、ずっと私はディズニーのファンでした。 ディズニーシーのキャストとして アルバイトをしたいがために、 大学も千葉県の私立に進学し、年間パスも個人的に買って、毎週ディズニー三昧の日々を送っていました。
そんなディズニーオタクの私は、「人を喜ばすことを仕事がしたい」と思い、就活ではエンターテイメント業界を志望しました。ゲーム会社やイベント会社、テレビ会社など様々な企業を受けました。一番入りたかったのは、東京ディズニーランドを経営しているオリエンタルランドさんや大阪のユー・エス・ジェイさんといったビックテーマパークでしたが、働くことは叶いませんでした。
私だけではなく、本当に多くの人が働きたいと考えているんだと痛感しました。でも、それを知れば知るほどにますますオリエンタルランドで働きたいと強く思うようになりました。
他のエンタメ系の会社からもお話をいただいたのですが、やはり、アミューズメントパークで働きたいと思い、首都圏の遊園地のイベント会社に内定を決めました。
自分のことで精一杯
配属はかねてより希望していたテーマパークスタッフでした。アルバイトをしていた時、社員さんのことはよく見ていたし、大丈夫だろうと思っていましたが、私が見ていた部分は一部でしかなかったのだと知ることになりました。
新人は朝勤アルバイトが来る1時間半以上前の午前7時には出勤しなけらばならず、毎日11時間以上の労働でした。出勤はシフト制なので閉園作業や清掃、遊具の整備などをする遅番もあり、生活も次第に不規則になっていきました。アルバイトの頃は楽しい面ばかりに目が行っていて、社員さんの苦労を知りませんでした。遊びに行く人にとっては楽しい場所かもしれませんが、中で働いている人達にとってはなかなか大変な仕事でした。
半年も過ぎると仕事内容に慣れてくると全てが作業化し淡々とこなすだけで、いつの間にかやりがいも見失っていました。月日が経っても、慣れていかないこともありました。私は小さい頃から体があまり強くなく、学生時代も文化系だった私にはこの仕事が体力的にキツく感じていました。社員の雰囲気も思っていたより体育会系で、私にはあまり肌が合わない感じがしました。
自分のことで精一杯になって、来園者を楽しませることができていないことに、気づきました。また、今後やる仕事が大きく変わらず、業界の将来性も見えないことから、私自身が「この先ずっとここで働いている将来が描けない」と思うようにもなり、転職活動を始め、キャリチェンに出会いました。。
過酷な状況でキャリアチェンジした体験談はこちらにもあります。
今の私の仕事観
キャリチェンして一番驚いたことは、私の常駐先が今流行りのゲームアプリの開発をしている、みなさんも知っているような企業さんだったことです。
私の場合は、元々志望していたエンタメ業界で、さらに、一流企業さんで働けたことはとてもありがたかったです。この会社で働くこと自体が私のモチベーションアップに繋がっています。
また、オフィスワークで残業なしの定時に退社できているので、労働環境も変わりました。
最近は、働くことについて、こんなふうに考え方が変わりました。 前までは「好きなことをしてなくちゃ、楽しくないじゃん」と考えていましたが、東進ハイスクールの林先生が言っていた「仕事選びは好きなことより、得意なこと(私の解釈ですが「できること」)で選ぶべき」という言葉に、今ではとても共感しています!!
価値観を変えることができたのはキャリチェンのおかげです。