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町工場で働いていました
前職は家族経営の工場で事務員をしていました。いわゆる町工場だったので従業員10人いるかいないかぐらいの小さな小さな会社でした。大手企業に納品する部品を作っている工場で、社長をはじめみんな和気あいあいと働いているところでした。
父も自営業をしていたので、その繋がりで高校卒業後にそこへ就職しました。事務員は私1人だったので、必要な部品の発注や在庫管理、経理、外注先とのやりとり、事務所という名のプレハブの掃除など、とにかく現場作業以外のことは雑務を含めてすべて私の仕事でした。
忙しくはありましたが、皆さん私を信頼してくれていて頼りにもされていた感じが伝わってきたので、やりがいを感じていました。
最初はそこの社長さんも知り合いの娘だからと気を使ってくれて、お給料こそ低いものの休みも取れて定時に上がることができていました。
1人でたくさんのことを行うので時間が経つことが早く、でも休みもしっかりしていたのでもう少しお給料があればいいなー、ぐらいにしか思っていなく、そんなにそこで働くことは嫌ではありませんでした。
父の他界で状況が激変
1年ぐらい働いていた頃でしょうか。父が病気になって逝去。実家の事業も畳むことになり、しばらく休みをもらったあとに職場へ復帰すると、それまだは優しくしてくれていた社長さんの態度が急変したんです。
これまで以上の仕事に加えて、現場での資材運びや外注先への営業など、肉体労働を中心とした仕事もするようにと告げられたんです。本来していた事務仕事が現場での雑務が増えたことにより滞ってしまい、もちろん時間内に終えることができず、終わるまでは帰るなと言われ、朝早くから出勤して夜遅くまで働くことが余儀なくされました。
それでもお給料は一定のまま、でもやることは毎日毎日増えていく一方。どんどん私の精神は病んでいっていきました。でも、大好きだった父が生前懇意にしていた方だったので、抗議することもできず黙って働くしか出来ませんでした。
日に日にやつれていく私をみて、母から「お父さんのことは気にせずに辞めていい」と言われるまで更に1年ほどそんな生活を送っていました。母にそう言われてすごく肩の荷が下りたことを覚えています。
周りの助けがあるのはとても有り難いことです
やつれて疲れ果てながらも仕事に行こうとする私を見かねて、仕事は母に強制退職させられました。逆にそうでもしてもらえなければ退職はいつまでたってもできなかったかもしれません。
しばらくは自宅で静養しながら、家族や友人と過ごしました。なんとかメンタルを持ち直した私はかつてやっていた自営業とは全く関係ないのない仕事に就きたいと考え、転職活動を始めました。
小さな会社とはいえ、多岐に渡る事務仕事をしていたのでそれを活かしたいと思って引き続き事務仕事で探していました。そんなときに見つけたのがキャリチェンでした。
面接にいき、これまでの経緯をキャリアコンサルタントの方に話すと、「それは大変でしたね」とおっしゃっていただき、私の心に寄り添ってもらえたのがとても嬉しかったです。さらには紹介してもらえるのは名のある企業さんばかり。その中でも一番条件の良かった企業さんに入社しました。
今ではスキルを活かしてバリバリ働かせてもらっています。残業になることはほとんどありませんが、残業になったときはきちんとその分のお給料も出ますし、何より1人でやる仕事がないので、周りの方に助けてもらえる環境というのが、私にとってはとても嬉しいです。
いま苦しい思いをしながら働いている方には、ぜひキャリチェンを利用してもらいたいと思います。